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科学の衣を着た政治的プロパガンダ

温暖化、コロナに流されない市民の会 副代表

東京医科大学 茨城医療センター 泌尿器科
 教授 青柳 貞一郎

2022年11月12日 記

 

1.正当な科学(サイエンス)の基本は反証可能性にある

少しややこしい話になりますが、私たちの日常を豊かにしている現代科学は、演繹法という真実の求め方によって結論が導かれています。それは、下図に示す様に、いくつかの前提に基づいて「この様な結論になるだろう」という仮説が立てられ、実験や検証による論理展開がなされてその過程が正しければ正しい結論に至るというものです。その結論が科学的に正しいものであるかは、前提を含めた途中の論理展開の過程に第三者が自由に疑義を申し立て、その疑義に対して誤魔化さず真摯に解答することで相手が論理的に納得して初めて科学的真実に達するという「反証可能性」という過程が必要になります。これはウイーン生まれの英科学哲学者カール・ポパー(Karl Raimund Popper1902-1994)(1)が、著書「探求の論理(1934)」において科学は帰納的学問ではなく演繹法に基づいた「反証可能性」(2)という理論で成り立つ学問であると提言したことに基づきます。つまり「その前提や論理展開が誤りではないか」という疑義に対する反証の試みで「研究によって得られた結論に矛盾がない」と証明されなければその結論は「科学的に真実だ」(=パラダイムの構築)と言えないのです。

2.体制の「科学的結論」とされる決定に異を唱えられない不思議

 

「新型コロナウイルスにはゼロコロナの対策で臨まねばならない。」「遺伝子ワクチンは安全であり、コロナ撲滅には小児を含む全員が接種せねばならない。」という方針は、「科学的真実」とされてそれに異を唱える事は「フェイクニュース」「陰謀論者」などと一方的に決めつけられてメディアなどの公の場で、或いはSNS上で意見を述べる事が禁止されてきました。

地球温暖化についても、「温暖化は既定路線」とした方法論では意見を交わす事ができても、温暖化自体やその原因、「人類の活動による二酸化炭素排出」という命題に異議を唱える事は何故か許されません。世界中の多くの一流の医学者、科学者達が前提となる事項に科学的に異議を唱えてきましたが、それをフェイクニュース扱い、或いは陰謀論とレッテルを貼り、無視することは科学が成り立つ条件である「反証可能性」を否定する事であり、「反証可能性が否定された事項」はたとえ真実が含まれていても「宗教の教義や政治的主張」に過ぎません。つまり「科学の衣を着た政治的プロパガンダ」に過ぎないと断定できます。

「科学的真実と主張されながら、何かおかしい」と感じた時、その主張に異議を唱える事が社会的に認められているかを観察すれば、「本当の科学」なのか「科学の衣を着たプロパガンダなのか」明確になります。

3.民衆を政策に従わせる手法の変遷

権力者が決めた政策を、暴力に依らず進んで民衆に従わせるには、従いたくなる動機としての権威、畏怖の念、或いは「権威に従わない時に被る被害への恐怖の感情」などが必要になります。古来より為政者は様々な方法で民衆を従わせる手法を考えてきました。その主な変遷を示します。

 

・古代には「自然の力」を利用し、その意思を伝える「巫女」の預言が用いられました。原始的宗教を用いた王制の時代です。

 

・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など一神教の教義が完成すると、「神の名の下」による宗教的権威による支配が行われます。神の権威による支配で、これは今も一部有効と言えます。

 

・民族国家の概念が確立すると、「民族の優位性」「血の純潔」といった漠然とした概念に「価値と権威」を持たせ、それらが個人の生活よりも優先されるという思想で民衆を従わせる手法、「民族主義による支配」は現在でも使われています。

 

・資本主義が発達して経済的格差が決定的になると、「所有を否定」する原始共産制が「人類の平等を実現する究極の思想」であり、資本主義を否定して人類進化の終わりには共産主義に到達する、という経済理論が大きな権威を持っていた時代がありました。「革命」の名(権威)の下にあらゆる個人の自由を制限する政策が正当化され、それに従わないことは「反革命的」であり糾弾・弾圧されても仕方ないとされる思想で、「経済理論による支配」と言えます。

 

・20世紀は科学の時代であり、科学の進歩によって人類の文化的生活は大きく発展しました。国家の枠を超えて、人類全てを従わせる手法として「科学の権威」が用いられる様になったのが21世紀の現在と言えます。そしてその権威を偽装して、まるで正統な科学である様に詐欺的手法で用いたのが「科学の衣を着た政治的プロパガンダ」なのです。

 

参考

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古典的右翼左翼の定義では社会情勢を理解できない

温暖化、コロナに流されない市民の会 副代表

東京医科大学 茨城医療センター 泌尿器科

教授 青柳 貞一郎

2022年10月30日 記

1.1990年代に民主主義と資本主義がセットで社会主義に勝利したという誤解

1988年から91年のソビエト連邦崩壊により、国家の枠を超えた東側コミュニズム体制と社会主義経済が終了しました。西側陣営は当然喜んだのですが、これは社会体制として共産主義に対して民主主義が勝利したのと、経済体制として社会主義計画経済に対して資本主義経済が勝利した2つの意味がありました。

元々「経済体制としての資本主義」に対立する形で「マルクス主義経済学」が出現して社会主義国家が誕生した訳ですから、政治体制としての「民主主義の対立軸」として共産主義が出現した訳ではありません。だから計画経済が立ち行かなくなり、社会体制として東側社会主義国家が消滅して、世界中が資本主義にはなったとしても、政治体制が自動的に民主主義国家になる訳ではなかったのです。共産党一党独裁を貫いたままGDP世界2位になっている中国が良い例です。

資本主義を追求すると自然と民主主義になるということはなく、むしろ資本が力を持って民衆を平気で支配する事も可能になりました。つまり民主主義が対立軸を失って弱体化しているのです。ここに現在に至る問題の根源が潜んでおり、また東西冷戦時代の右翼左翼の定義で現在の体制を理解できない理由があります。

2.原理主義(リバータリアリズム)から独占資本主義(モノポリー・キャピタリズム)強化へ

 

戦後冷戦期において、日本では左翼と言えばマルクス主義を信奉し、社会主義国家、計画経済による統治、当時のソ連や中国の在り方を「良し」とする考えを指しました。一方で右翼とは、ウエストファリア型の民族国家の繁栄を個人の自由よりも上に置いて、帝国主義的資本主義を「良し」とすることを典型としました。一方で左右どちらにも偏らないながら、個人の自由を尊重して国家の枠に囚われない「地球市民」(1)的発想をリベラルと称していました。これらはやや極端な色分けですが、現在も概ねこのような概念で「レッテル貼り」が行われていると思われます。しかし図に示す様に、現在の社会を理解するには20世紀的な右翼・左翼の定義では理解できない状態になっています。

90年代に共産主義と社会主義経済がセットで敗北すると、マルクス主義に忠実な左翼は消滅します。一方で左翼全体主義の傾向を持った一群が資本主義に合流して「ネオ・コンサーバティブ」(2)という法的統制を伴う狂暴な資本主義を推し進める事で、統制を嫌い市場の自然な動きによる発展を好む市場原理主義的資本主義(リバータリアリズム)(3)は影を潜め、巨大資本が法的統制力で帝国的支配を広げる「独占資本主義(モノポリー・キャピタリズム)」(4)が勃興し、国家の枠を超えて世界を統一的な価値観で経済を支配する、所謂グローバリズムにつながって行きます。新興国の中には、国を挙げて企業を支援する国家資本主義(5)で独占的巨大資本に対抗する勢力も出てきました。これがソ連崩壊後から2010年頃にかけての世界経済・社会の動きであり、図の矢印の様にそれぞれが部分的に旧来の右翼・左翼的要素を取り入れてはいるものの、既に旧来の右翼・左翼の定義で社会を分析することは不可能になりました。

世界を一つの価値観で支配したいグローバリストは、LGBTなどの少数派尊重や温暖化阻止などの環境問題を重視している様にみせかけて、以前のリベラルの要素を取り込んでいます。また国家資本主義はまさに国家権力の伸張を重視する20世紀的帝国主義の要素があります。そういった要素で右翼左翼といった旧来のイメージがついたレッテルを、メディアを使って貼付けることで現実の姿、本当の目的を見えなくしているのです。

そして現在、一見国民国家毎に民主的に物事が決められて世界が動いている様に見えながら、実際はグローバリズム経済を仕切る国家の枠を超えた一部の人達の決定に従う国(西側と括られる)と、中国・ロシア・南米・中東第三世界などの非グローバリズム国家の対立の構図が出来上がって、新型コロナ、地球温暖化、ウクライナ紛争などで異なる対応をして対立しているのです。

3.帝国(グローバリズム)の時代に20世紀的右翼左翼の定義では理解できない

イタリアの哲学者アントニオ・ネグリ(6)と米国の哲学者マイケル・ハート(7)が2000年に出版した「帝国」(8)はグローバル資本主義が既に国家以上の権力を持って「帝国」として人類を支配する事を警告する古典的名著ですが、彼らはその「帝国」にあらがう人々の「形」をマルチチュードと表現しました。しかし「帝国」が明確な概念である一方で「マルチチュード」が具体的にいかなる存在かまでは明らかにできませんでした。現在「グローバリズムの帝国」に明確に対抗しているのは、やはり一個人から見ると「帝国」である「国家資本主義からなる多極主義勢力」という事になります。「マルチチュード」=「多極主義勢力」ではないものの、グローバル帝国に対抗する多極主義勢力をやや期待を持って見守るほか、力のない一個人にはできないのが現状です。現在、米国では民主党がグローバリズム勢力、共和党が多極主義勢力側に概ね付いていると言えます。日本は与党も野党もグローバリズムに忖度した行動しかしません。もはやどちらが右翼、左翼と言ってみた所で当てはまるものではないし、理解もできないと納得されたのではないかと思います。

 

参考

(1)地球市民 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B8%82%E6%B0%91

(2)ネオ・コンサーバティブ https://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-04-17/06_01.html

(3)市場原理主義 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%A0%B4%E5%8E%9F%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

(4)独占資本主義 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E5%8D%A0%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9

(5)国家資本主義 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjce/52/1/52_1_19/_pdf

(6)アントニオ・ネグリ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AA)と米国の哲学者マイケル・ハート(7)(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88

(7)マイケル・ハート https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88

(8)「帝国」https://www.amazon.co.jp/%EF%BC%9C%E5%B8%9D%E5%9B%BD%EF%BC%9E-%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E5%8C%96%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%A7%A9%E5%BA%8F%E3%81%A8%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%B0%E3%83%AA/dp/4753102246

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​「新型コロナ感染症騒動」から考える、「物事の基本原則は専門家だけで決めるべきではない」こと

温暖化、コロナに流されない市民の会 副代表

東京医科大学 茨城医療センター 泌尿器科

                                   教授 青柳 貞一郎                     2022年10月7日 記

  1. 新型コロナ対策の選択肢は一つだったのか

 2019年12月中国武漢で正体不明の新しい肺感染症が見つかった時に、世界はエボラ出血熱同様「完全封じ込め」を目指すべきか、2009年に出現した豚インフルエンザの時の様にある程度拡散を許して集団免疫獲得による収束を目指し、重篤な患者に集中的な治療を施してゆくかの選択を迫られました。当初詳細が分からなかった時点ではまず「封じ込め」を目指した事は異論のない所ですが、この「新型コロナ感染症」は、感染力が強く、基礎疾患のある人や高齢者は重篤化する可能性があるものの、多くの感染者は軽症で回復することが解ってきました。この時点でそれまでの科学・疫学的見地から国家としてロックダウン対策を採らなかったスウェーデンや、集団免疫施策を一時掲げた英国ボリス首相の様な例もありましたが、何故かヒステリックに「完全制圧」を掲げる意見がメディアを席捲し、中国が強力なロックダウン政策で制圧にかかった事もあり、WHOを含む世界中が「ゼロコロナ」を目指した外出制限や強制的なワクチン接種の方向に向かいました。

 

 2022年10月までに、世界では6億人以上が感染し、起源となった武漢株は既に消失、デルタやオミクロンといった性質の異なる変異種が世界中で流行する状況になりました。結果的には、集団免疫獲得による収束と重傷者に対する集中した治療という従来の疫学に基づく対応が正しかった事が証明されました。遺伝子ワクチンという人類が使った事がない新型ワクチンは、長期的影響は未知数のまま、コロナウイルス変異種には感染予防にならず、重症化予防という効果も統計的な結果のみで科学的に証明した論文は存在しません。一方で、コロナ対策のために人類全体の経済活動、生活対応に大きな変化が強いられ、全ての個人の人生、生活設計に影響を与えました。この全ての人が影響を受ける政策の選択肢は本当に一つしかなかったと言えるでしょうか。

 「その道の専門家が知恵を絞って出した結論だから仕方ないだろう。」というのも一つの意見です。しかし「専門家は物事の基本方針から全て決定」するのではなく、「皆が決めた基本方針に従って専門家の立場から正しい対応を決める」が正しいありかたではないでしょうか。

2.がんの治療を決める手順

ここで日常的な医療についての例をあげてみます。ご自身やご家族が「がん」になった時、「50代の働き盛りの方と80代後半で種々の持病を持った方では同じ治療方針にならない」事は納得できると思います。がんの診断、治療の選択肢、ガイドラインなどは専門家である医師から詳しく説明を受ける必要があります。しかし実際に今後どの様な治療方針でゆくかという「基本方針」は素人である患者さんの側が自らの意思やライフスタイルに基づいて決める必要があります。専門家である医師は患者さんの決めた基本方針に沿って可能な治療、それに伴うリスクや利点について説明し納得してもらい、治療を進めるのが「インフォームドコンセントに基づく正しい医療」です。それは必ずしも画一的なガイドライン通りではない可能性もあります。

 全ての国民に影響が及ぶ政策を実施するにあたっては、民主主義においては本来その基本方針は国民が選ぶ必要があります。為政者は基本方針になる選択肢を提示し、それぞれの利点欠点を専門家の意見を交えて詳しく説明する義務があります。今回の様に、国民全体の意見を反映させる時間がない場合もあるでしょうが、国民の意見を代弁するメディアやジャーナリズムはその代役を務める必要がありますし、2年という期間があれば振り返って今までの選択が正しいものであったかを十分に検討する余裕はあったと思います。地方自治体を含む政府は国民に対して正しいインフォームドコンセントに基づく施策を新型コロナ感染症に行ってきたと言えるでしょうか。

3.21世紀にふさわしい知性を磨く一助に

 デジタル化が進む21世紀は科学技術が益々進歩し、個人では処理しきれない程の情報が溢れ、瞬時に世界中が情報を共有することも可能になりました。一方で専門化が進んだために複雑な事はそれぞれの専門家に任せてその意見に従うという傾向も強くなっています。しかし個人の生き方にさえ影響する事態においては、その基本方針については専門家に任せるだけでなく個々人が知識を偏りなく習得し、自ら考えて決断する知性が必要です。それは科学が発展途上であった20世紀よりも困難を伴う事かも知れません。

 今回私たちは「温暖化とコロナに流されない市民の会」を立ち上げ、今後私たちの生活に直接関わりをもつであろう「地球温暖化対策」について「恐怖バブルをあおる世界経済はウソばかり」を著した経済学者の増田悦佐先生をお迎えして講演会を開催することになりました。物事の基本方針を自ら考えるために、21世紀にふさわしい知性を磨く一助になればと思います。皆さま奮ってご参集下さい。

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